毎年大晦日になると、僕は逗子海岸へ足を運ぶ。

到着時刻は16時。全長850メートルの海岸には、犬を引き連れて散歩をする人、仲間たちと談笑する人、一人で海を眺める人……。色々な人たちが、ある光景を目にするために集まっている。僕はカメラで写真を撮りながら、砂浜をあちらこちらと歩き続ける。

2019年は【16時39分】がその時だった。この日は天気が非常に良いので、ハッキリと見届けることができた。
太陽が、次第に水平線の中へと隠れていく……。
2019年における、最後の日の入り。
それを見届けると、多くの人たちは、家路や次の目的地を目指しはじめる。
僕は17時くらいまで散歩や撮影を続けていた。急に暗くなると、比例するように寒さが増す。新逗子駅(※2020年より逗子・葉山駅)のド・トールで温かいものでも飲むか。そんなことを考えながら、暗闇と夕焼けが混ざり合う砂浜をあとにした。


「初日の出」という行事があるのなら、その対極にある「〆の日の入り」という行事があっても良いのでは?

どこの誰が思いついたのかは知らないが、少なくとも我が家では「大晦日に逗子海岸で日の入りを見届ける」ということを何度かしていた。僕が大きくなり、家族と過ごす時間が減ったためこの風習は廃れてしまったのだが、数年前に「そう言えば!」と思い出し、以来毎年この場所へ足を運ぶようにしている。

そんな「〆の日の入り」を毎年したくなる、良さとは何だろうか?
一般的に、「初日の出」は「ご来光を拝むことで、身を清めた状態で新年を迎えることができる」という要素があるので、行事として成り立っている。
では、太陽光を浴びるという共通点を有した「〆の日の入り」も、同じ効能なのだろうか? いや、違いがある。初の日の出が「未来」に向けた行事であるならば、〆の日の入りは「過去」や「終わり」を思い、振り返る行事だと僕は考えている。


「過去を振り返る」や「終わりを考える」というのは、一般的には後ろ向きな振る舞いと言えるだろう。特に、悪いことが多かった1年だとしたら、それはより一層酷な状況だ。
ただ、そんな状況を癒し、受け止めてくれるのが、日の入りの光なのである。一旦良し悪しを捨てて、フラットな状態で僕の1年間を考えさせてくれる場所が、そこにできあがっているのだ。

2020年は多くの人にとって、大変な1年になったことであろう。「もう考えたくない」「忘れたい」という思いすら抱いている人もいるかもしれない。
ただ、僕はそんな年だからこそ、海まで足を運んで見に行く価値はあると思っている。辛い1年だった。だからこそ、これまでとは違う思いが、胸に染み込んでいくと信じている