通い詰めている大井競馬場にもルーティーンがあった。それは、「どこで何を食べるかが常に決まっている」というものだ。
ある日、貧しいサラリーマンである僕は「腹が一杯になって」「安くて」「冷たい炭酸水に合う」食べ物を探していた。とぼとぼ歩いているうちに、2号スタンドの近くにある、Sという小さな屋台を見つけた。ラーメンをメインに取り扱っているのだが、その隅にあるフライヤーに目をつけた。キラキラと輝く衣を身に纏う、様々な逸品たち。その中にヤツはいた。ハムカツ、120円。「かつ」という言葉の縁起の良さに、コロッケや春巻きにはない魅力があった。
それを初めて手にした時、とても特徴的だと思った。分厚い。普通のハムカツは薄いペラペラのものを丁寧に揚げたものだが、これは2~3センチほどある。
そんな贅沢なものが、何故120円で売られているのか? ソースをたっぷりかけ、隅に和からしをそっと添える。首を傾げながらスタンドに戻った。
その理由は一口かじっただけで理解できた。あっさりしている、もとい、ジューシーさが無い。この瞬間、ハムカツには魚肉を使ったものも存在するのだと初めて知った。
生暖かい風が吹き抜ける寂しいスタンドで食す、安っぽいけど分厚いハムカツ。それが何故か美味しかった。あの日以来、大井競馬場に足を運ぶたびに、僕は毎回そのハムカツを買い続けた。
大井競馬場は改修工事を続けていた。2号スタンドは2014年、改修工事のために取り壊された。その余波を受けて、Sはパドック横の広場へと移った。お店の場所が変わっても、僕のハムカツに対する情熱は冷めなかった。
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2016年1月某日、僕は久々に大井へ足を運んだ。2号スタンドはG-FRONTと名前を変え、煌びやかな建物がそこに鎮座していた。時代のニーズがどんどん、この競馬場の風景を変えている。
そんな時でも、僕の行動は変わらない。さて、早速あのお店に……
無かった。
パドック横の広場から、Sの存在が消えていた。
僕はあちこち歩き回った。L-WING、G-FRONT、4号スタンド……。いくら歩き回れど、ハムカツは見つからなかった。
その日、1つの的中も得られないまま、僕は大井を後にした。
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色々調べた結果、Sは2015年いっぱいで店じまいしたとのことだった。
生まれ変わるということは、何かを失うということと表裏一体だ。でも、あれほど愛したハムカツを、なぜ失わせる必要があったんだ!
失望は大きかった。居酒屋や定食屋、スーパーやコンビニの総菜コーナーでハムカツを見つける度に、僕はそれを口にした。でも、どれもこれもSのハムカツとは似ても似つかぬものだった。
求め続けれど、心の溝が埋まらぬ日々は続いた。
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平成28年度も終わりに近づく3月末、僕は浦和競馬場に足を運んだ。南関東競馬における牝馬クラシック初戦、桜花賞が開催されようとしている。
浦和競馬場は焼き鳥が美味しい。そんな話をコアな競馬ファンから聞いていた。それは、匂いをかいだだけですぐ確信に変わった。小さな広場に、たくさんの屋台。どのお店も丹念に、美味しい逸品を焼き上げている。ベンチには常連客が腰掛け、どのテーブルもやんややんやと予想談義に花を咲かせている。
どこで焼き鳥を買おうかな? 屋台街の周辺をうろうろする。値段や品目には、目立った差は無い。うーん。
「ハムカツ 170円」
ここにしよう。
焼き鳥を2本と、ハムカツを一つ。その一品は串に刺さっている、縦長タイプだった。
競馬場で食べる久々のハムカツ。Sとは異なる風貌と値段だが、シチュエーションは全く同じ。まあ、少しくらいは心の隙間を埋めてくれる存在になるだろうか。
ボロボロのスタンドに腰掛け、ビール缶を開ける。喉を潤したあと、きつね色のそれを口に入れた。
あっ!?
同じだ!!
分厚いけど、ジューシーさの無い、安っぽい味。それがまったくSと同じだったのだ。
ひたすらがぶりついた。あっと言う間にハムカツは無くなってしまった。
もちろん、Sとあの屋台は全く異なるお店である。異なる出自を持ったハムカツであると考えるのが正しい。でも、どういうわけか、「僕が求めているハムカツ」という意味で両者は奇妙な合致を果たしたのである。
残ったビールを飲み干し、一息ついた。そうか、競馬場で失ったものは、競馬場で探して、取り戻せばいい。失われた味を口に蘇らせた僕は、そんな簡単な真理に思いを巡らせたのであった。
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こちらの記事は拙著「ウマをめぐる旅」から加筆・修正したものを掲載しております。
『ウマをめぐる旅』
旅の途中で馬と出逢う。そこで僕は、何を得たのだろうか?近くても、遠くても、「競馬」と「旅行」を組み合わせれば、不思議な出来事が起こる予感?そんな暖かくて少し切ない、全国5カ所の競馬場をめぐるエッセイ集です。【収録作(括弧内は舞台となった競馬場)】・失われた味を求めて。忘れられない逸品は、競馬場にある 「ハムカツの味」(浦和)・この競馬場には、常に不思議があふれている。5本のショートエッセイ+実践的・大井競馬旅行術 「ハロー、ティー・シー・ケー・プラネット」(大井)・小さな夏の旅にて。僕は、馬と景色と人に出逢った 「サマーブレイカー」(札幌&帯広)・エピローグ(新潟)表紙制作:杉浦昭太郎
bccks.jp
自分にとって「おししい」を考えるとき、ぱっと思い浮かんだのが浦和競馬場で食べたハムカツでしたので、紹介してみた次第です。
さて、7月30日(木)13時より松浦弥太郎さんとのオンライントークイベントが開催されます。ご興味のある方はぜひ、ご参加を検討してみてはいかがでしょうか?
SUSONO運営
【7/30 松浦弥太郎さんオンラインコンテンツ】 〜おいしい...
13:00 ・ イベントページのメッセージ欄 、 SUSONO サイト
お待ちしておりますm(_ _)m